様々な捉え方をされる、イメージを持たれる24HTV。
これはそんな24HTVに直接いろいろな立場で関わった人々のやりとりである。
それは、あこのみずなしの広い画に対するモンクからはじまった。
M妻に大きな影響をあたえたドイツでの経験は、その放送を通していろいろな気持ちを人々に与えることになった。
なお、もちさんの言っているティーシャツとは、番長ティーシャツのことである。


ありがとう 投稿者:あこ  投稿日: 8月28日(月)19時45分27秒

武道館。 壊れて色の変わらないカラーフェーダーまで、画に入れてくれてありがとう。 おまけにおさえのイントレまでも。 すてき。

どういたまして 投稿者:もち  投稿日: 8月29日(火)00時47分04秒

武道館。 みなさまの感想を聞きたい。 特に、m氏夫人のドイツの話について

m氏婦人のドイツの話について 投稿者:zoe  投稿日: 8月29日(火)22時15分25秒  

一般に病は憎むべき対象になります。ガンにしろ自己免疫疾患(自己組織への拒絶反応)にしろ、重い病は憎む対象になりがちです。
しかし、これらの病は、生きていくための恒常性を保てなくなる原因がそもそも自分の肉体の一部であるのです。
多発性硬化症(MS)で悩むあの彼女が、もしも憎しみの対象を自分と捉えてしまったとすれば、やりばが無いだけ辛さも増したことでしょう。
(ウイルスがトリガーになるといわれるガンなどもあるとはいえ・・・)。

彼女がやり場のない心の病は克服し、ひたむきに生きていこうとしている姿が番組からは感じられました。  
例えば臓器移植をした人は、その異常なる免疫機能の亢進(拒絶反応)を抑えるために、幾種類もの免疫抑制剤を飲むといいます。
彼女は、いままでもこれからも免疫抑制剤を飲みつづけているのでしょうか?併せて抗生物質も飲んでいるかもしれません。
果たして、病は克服できるのでしょうか?  

今後将来にわたり、MSに対する治療法が見つかると私は信じています。
最先端の科学が、その答えを教えてくれる日も、我々が生きているうちに来るはずです。  
今、MSを発病し、自分の10年後の姿を現在の彼女の姿に重ねる人もいるでしょう。
10年後にも、前のめりに生きていけることが分かったことだと思います。
そして10年後には治療法があるかもしれません。

彼女のメッセージは必ず伝わったと思います。

ドイツの話 投稿者:みせす・エム  投稿日: 8月30日(水)00時18分15秒

zoeさん、感想ありがとうございます、M妻です(うーむ、意味深な省略かも・・・)。
正直なところ、彼女の悩みはとても深くて、それこそテレビなんかがずかずか入ってはいけないものだと何度も思いました。
ただ、彼女は自分の生きている意味を、ものすごく必死に求めていました
(本当ならそれは、私も、誰もが探しているんでしょうけど、彼女にあって、私は初めて突き詰めてそれを考えたのです)。
だから、せめて彼女の願い、彼女の心の一番美しいところを伝えたいと思いました。
そういうわけで、もちさん、いろいろとありがとう。

あのね 投稿者:もち  投稿日: 8月30日(水)00時55分07秒

結局、TVことに24hTVとかいうのって、体裁がボランティアだけに すんごいパワ−を持ってしまっているのです。
これは、視聴者に対しても 出演者に対してもあると思う。
で、きっかけというものがあるでしょ、偶然性というか 運命論的というか、
ある種「TVなんて」と揶揄しがちな人種に対してすら すごく力のあるメディアなんだよね。

で今回のドイツははっきりいって「かけ」だったわけで
悪くすると、そのダ−クサイド を露呈しかねない、ものすごいシビアなシュチュエ−ションだったのでしょう。
結果は 「良いものが放送できた」とか「武道館のサブコン中が泣いた」(実は僕も泣きながら 仕事してました。)といったことを超越して
「良いこと」であったと思います。

もっというと、かの姿を目にして、同じような苦しみを抱えた人にも、良き力を与えて いたと思います。
そうでない人にだって、勇気を与えてるよね。
TVだって、有機的な人間の集まりなんだから、社会と同じで、なんかあるコンセンサス があって、放送にGOサインが出たりするし、
それをメディアの横暴であるとかいうのも あたらないこともあると思う。
自分のコモンセンスや美意識に照らして、m妻は言葉を かけているし、m夫は画を撮ったし僕はそれをチョイスしたんだと思う。
そこにシビアな ピリピリして、胃が飛び出しそうな裏付けがあった時に、
今回の結果があるんだとしたら とてもうれしいし、捨てたものでもないと思った。

今回のOA直前、武道館からの問い合わせに対する、Kサブからの返答は「すべては 現場のm妻判断だから」ということでした。

だいぶ楽になりました。

むかつくので・・・ 投稿者:もち  投稿日: 8月30日(水)01時56分29秒

何か量多くてごめん、
某検索エンジンの24hのBBSにいったら 行動もしないで、訳知りのやからの多さに絶望しました。
ほんと 批判するのは楽だよね。(でも、あえてそれを拝聴するセンスも必要 なんだろうけど)
とにかく、確実にお風呂カ−とか電動車椅子とかは増えている訳で 形はどうあれ、行動してるんじゃん。
文句言ってなんにもしないのより 無限大(分母0につき)倍いいよね。

TVのエンタ−テイメント性によって 目覚める人がいるわけで・・
今回だってV6のファンの子が良質なものを見て 良い刺激を受けてることは絶対にある!ギャラ貰ってたって、好んでやれないって。
がちがちの硬派なものは、例えばTBSの「アクセス」みたく内輪の撞着の 危険性があるわけで、
やっぱ甘口な中にどれだけ真実や誠意みたいなものを 込められるかが勝負でしょう!(オッペケペ−のなんとか音吉みたく)
それでも、この前提があった上で厳しく軌道修正するんだと思う!!

なんか、熱くてごめんね。

ドイツの話。 投稿者:あこ  投稿日: 8月30日(水)22時14分22秒

照明基地で、山内係長と、だまーって見ました。 2人とも、口を開くと泣いてしまうので。
M奥様の一瞬の涙声で、私のダムがやばかったんですが。
ただ、涙を流して「かわいそう。がんばって。」じゃなくって、もっと感じたかった。
彼女の言葉で、 私を見て、「自分よりかわいそうな人がいるんだ。」って思ってくれたらいい。 だったかな?
悲しかった。

自分がちょっとしんどいと、自分のかわいそうさに酔ったりする。
もっと辛いと、自分より辛い人をさがして糧にする。
だから、この言葉は痛かった。
彼女が、甘えるとこ、すがるとこってどこだろう。
そんなもの、あったら、自分に負けて病気にも負けるのかなあ。
でも、お母さんには会いたい。 憎しみは、すべて越えられたのでしょうか。
なんか私は、彼女の言葉に憎しみっていうか、なげやりっていうか、前向きなものは感じられなかった。
自分で、苦しんだからでてきた答えがこうなのか。 なんか素直に受け止められなかったんです。
私こそ、後ろ向きかなあ。 自分って、ちっちゃい。自分にがっかり。

自分が知らない病に苦しんでる人がいっぱいいて、
直らない病気がたくさんあって、 だから、直そうと研究してくれる人はがんばれて、でも、直らないって辛い。
前向きに進んでいるところを、どかーんってなぐられるよう。
昨日みた、パーフェクトストームの波に砕かれるよう。
自分がM奥様だったら、あそこでなんて声かけられたかな。

医者が、自分ががんばらないと、この人死んじゃうって瞬間があって、
レスキューの人は、もうあと、ほんのちょっとの力があれば、この人助けられるのにってことがないように、毎日鍛えて、
そういう危機感、私は感じることあるのかな。
そういうこと、感じられるように、伝えることが、テレビって仕事?
それだとしても、自分、ぬるいですわ。 今の自分って。

へこみ。

ドイツの話、再び。(長め、スマン) 投稿者:みせす・エム  投稿日: 8月31日(木)00時51分55秒

もちさん、あこさん、サンキュです。
お二人の話を読んでいて、彼女が言っていた、欲しがっていた「生きている意味」って、こういうことだったかもしれないと思いました。
つまり、自分が誰かのきっかけになれるかもしれない、ということです。

自分の味方になって欲しいと言うよりは、晩ご飯の時に、あたしの話題がちょっとでたらいいよね、それでいいんだよね、と、
彼女はドイツのオープンカフェで自分に言い聞かせるように話していました。
そのうつむいた顔が帰ってきてからも思い出されて、私はなかなか浮上できないんだけれども、
少なくともそれは真実、彼女の願いの一部でした。
思い通りにならないことが多すぎる世の中に、
意地悪な運命の方が強いように見える世の中に、彼女は今もなお、けんかを売りたいと思っていました 。
まあ、言ってみれば、彼女は 自分の戦略の、第一段階として、テレビに出たいと思っていたのです。

もちさんが言うとおり、24hにはいろんな批判があるけれど、
露出「される」側にだっていろんな事情があるってこと、忘れないで欲しいと思いませんか? 
病のために、見る力も、書く力も失われつつある彼女にとって、「話す」ことは最後の武器なのです。
そうでなくては、人と関われないのです。今となっては。
彼女は(とても美しい人ですが)、自分がテレビで話すことによる、効果をちゃんと考えていたと思います。
私にできるのは、友達として彼女に害を及ぼさない仕事をする、ということだけでした。
すごくきれいな言葉で言っちゃうと、焼け付くように、彼女は人の記憶の中に残りたかったのです。
でも、それもひとつの「欲望」だから、そんな欲にとりつかれた人のことを、すごくきれいな言葉だけで語り尽くすことなど、
できっこありません。
それでも、だからこそそんなに人間らしい彼女を、誰が責められるでしょうか。

こんな訳で、あこさんの直感はすごいと思うんだけど、あの日の彼女のことを一口には評価できません。
彼女はらせん階段のような人で、すごく純粋に前向きだったり、一瞬後には恨んだり、くるくると果 てしなく感情はつながっていました。
一週間の取材中に、うれしくなったり、がっかりしたり、両方をこんなに強く味わったことはありません。
ちょっと入れ込みすぎているな、と自分でも何度も思いました。
それでも、彼女に対するプラスの感情、彼女に対するマイナスの感情、両方を足し算引き算すると答えは一つ、
私は彼女に生きていて欲しいと思いました。
いろんな矛盾した気持ちを抱えていることが、彼女のエネルギーになっているのだったら、
そのままでいいから、この世の中にいて欲しいのです。
今もずうっと、そう思っています。

日本の中で、(ほぼ)均等なひとたちが暮らしている中ではあんまり考えませんが、
例えば同じ年代の子が集まる学校で、友達を作ることは、まあ、簡単です。
そうでなくて、お互いがお互いの事情を抱えたままでも、ありのままで、相手に友情を感じることができるというのが、私には大事な発見でした。

長々書きましたが、ドイツで、私は友達を一人作りました。ということです。
その人に自分ができることはあまりなかったけれど、この出会いを、なかったことにはもうできない。
色々考えましたが、そうして、今、次へと物語をつなげていこうとしているところです。

テレビとか、運命とかに、飲み込まれてたまるかっ。
がおー。

後は飲み屋で 投稿者:もち  投稿日: 9月 1日(金)01時42分32秒

う-ん、やっぱ現場の話聞くと、また考えてしまうね。 改めてvを見てまた考えてしまった・・・・。
てなことで、近々飲みに行こう!! Tシャツも送られるようなので、みんな「おそろ」で 繰り出そうぜっっ!


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やりとりした人々:あこ、もちさん、M妻
やりとり期間:2000年8月28日(月)19時45分27秒から 9月 1日(金)01時42分32秒
編集日:20001014